静蓮寺の縁起
慶長8年(1603)徳川家康が幡随院を開山とし、神田の台(元駿河台)に建立。
神田山新知恩寺幡随院として始まり、その末寺として建てられたのが静蓮寺です。
この年は徳川幕府の開府の年で、家康は京都から幡随意を呼び寄せ、260年続いた徳川幕府の祈願所として当時は新知恩寺と呼ばれていました。
知恩寺とは浄土宗で、京都にある知恩院の末寺のことです。
元和3年(1617)に神田で外堀を築く為に下谷池之端へ最初の移転をしますが、十八間四方の本堂という大伽藍、学寮も40を越える数が建てられました。
その後振袖火事で消失し、2年後に浅草(現東上野)に境内地を拝領し、建立しました。
その際の1つとして残り、建てられたのが静蓮寺です。
「下谷區史」による静蓮寺の縁起
靜蓮寺(入谷町一八番地)
淺草幡随院末、紫金山妙雲院と號す。本尊阿彌陀如来。(大正十二年九月焼失)寛文三年僧運寮(延宝元年三月二十八日寂)の開くところである。(「下谷區史」より)
新編武蔵風土記稿による静蓮寺の縁起
(坂本村)静蓮寺
浄土宗紫金山妙雲院と号す。本尊弥陀。開山雲寮、延宝元年3月28日化す。草創は寛文3年なり。(新編武蔵風土記稿より)